こ  こ  か  ら



 

 


1 いまさらのゆめ

ほんとうは 「夢」について語るほど 私は若くは無い 

でも前に進む為には 夢を見る事が必要なんだと思う
























2 突然時間が止まって・・・

昨年 主人が他界した 肺癌だった 

告知を受けてから 僅か八ヶ月目の事だった
















3 桜吹雪



告知を受けたのは三月の末だった
 
インターネットで情報収集をする一方 

二人で 思い出作りに 車で出かけた 

ちょうど 桜が満開の頃 見事に桜並木の続く公園に出かけた 

大きな桜の木が 両手をいっぱいに広げ 

重たそうに花を付けて 何本も何本も続いている

風に舞う花びらの中で見た主人の横顔を はっきりと覚えている

不安だったと思う 悲しかったと思う 寂しかったと思う 辛かったと思う

桜吹雪の中を 一緒に並んで歩いているのに 隣にいる主人が遠くに感じた













4 病院で会える

主人の入院中は 前夜インターネットで得た情報で良いと言われるものがあれば 

なんでも車に積んで病院に通った
 
玄米スープ カロリーメイト 水 モズク きのこのスープ お茶 

それから 好物の果物やおかず そして洗濯物

病院に行けば 主人に会える 私は車を運転しながら うれしかった

病院では 何もする事は無く 二人でテレビを見たり 散歩をしたり 

主人のベットの側で本を読んだり・・・ 

夜の面会時間ぎりぎりまで居座った












5 病棟

その病棟は 抗癌剤治療を受けている方々がほとんどの病棟だった 

皆同じように入退院を繰返していた

自然と馴染みになり 病室でも デイルームでも

治療方法や治療段階の情報の交換と開示が繰返された

患者自身もその家族もとても明るい 

私は 病棟に行くとなぜか必ず元気になれた

心があたたまりとても穏やかな気持ちで居られた

大きな不安を抱えた患者とその家族は 

その日 その時を 精一杯生きようとしていた

・・・勿論 私たちも











6 子供たち

子供は二人 上が男で下は女 

二人とも成人はしているがまだ自活していない


二人に正確な状況を伝えたのは

告知を受けてから三ヵ月後くらいだった


息子は車での買出しや 家族の送り迎え


娘は大学から飛行機で行ったり来たりしながら


父親に付き添った













7 家族

個室に移ってからは 私は毎日病室に泊まった

息子は 洗濯物や私の為の食料を届けてくれた

日に何回も往復してくれた


娘も大学から戻り はじめは昼に交代して 夜は家に帰っていたが 

すぐに私と一緒に病室に泊まるようになった

徐々に息子も病院に詰める時間が長くなった


目が離せない状態になったからだ


三人で交代で仮眠をとった

病室で家族四人がずっと一緒に居られたのだ 


朝も昼も夜も・・・ 一日中・・・











8 2枚のCD

主人の入院グッズの中に 毎回 20枚程のCDがあった 

自宅でも病院でもいつも音楽を聴いていた


特に拘りは無く 幅広く聴いていたと思う


そのCDの中に 「ブラームスの交響曲第4番」と「アダージョ・カラヤン」がある


この2枚は 私と娘が選んで  最後までベッドの側で 主人に聴かせた曲だ


特に ブラームスの第一楽章とパッヘルベルのカノンが耳に残っている


この2枚だけではない  シューベルトもモーツアルトもメンデルスゾーンも 

今は 涙なくして聴くことができなくなった










9  引き止めてはいけない


主人が旅立ちの準備をしている 主人が 新しい世界へ向かおうとしている

支えてあげたいと思った 

旅立ちなのだ  悲しい別れではないと思いたかった


本当は大声で泣き叫びたい   でも引き止めてはいけない


そう感じて 急にうろたえてしまった


周りの音は消え その代わりに 自分の心音が頭の中で鳴り響いていた


「大丈夫?・・・」

「ありがとう・・・ ありがとう・・・ ありがとう・・・」


ただ その言葉だけを 何回も何回も繰返した











10  光に包まれて

窓から差し込む陽射しだけでなく ベットの周りはとても明るかった

光に包まれて眩しく見えた

主人は その光に包まれて天に昇っていった


私は泣かなかった   泣く訳にはいかなかった

私が涙を流して泣く事が出来たのは 

ずっと後になってからだ















11 現   実

外は 今までと変わらない いつもの風景なのに

主人の姿だけが見つからない

やっぱり 待っても 帰ってこない

そう思い始めた頃には 恐くて 一人では 外に出られなくなっていた

誰とも会いたくない 何も聞きたくない 何も話したくない

家の中に 閉じこもるようになった














12    涙

四九日が過ぎた頃だった ふとした瞬間に 思いがけなく涙がこぼれた

次から次と込み上げてきて 声をあげて 泣いた  やっと泣く事が出来た

何を見ても 何を聞いても 涙が流れた 何もしなくても 涙が流れた

また春が巡ってきて 桜の便りが 悲しかった

こういう時 励ましの言葉は 何の意味も持たない 

言葉は 残酷だ 悲しみを より深く  苦しみを より強くする

私を支えてくれたのは  私を見守る 二人の子供と 

ただ黙って一緒に泣いてくれた 友人の存在だった

ゆっくり流れる時間の中で 静かに主人を思うことができた











13    離れて暮らす事

私達は転勤の為18年間 故郷を離れ見知らぬ土地で暮らしてきた

息子は小学校だけで3回 高校で1回

娘は小中学校でそれぞれ1回ずつ転校をさせている

それでも私達は4人一緒に居る事を選んだ

マイホームも持たず 何処までも主人の後についてきた 

だから 離れて暮らすのは 初めてだ

夜になっても主人が帰ってこないから 一日が終らない 

一日が終わらないまま 次の朝が来てしまう

それでも夜には「おやすみ」と声を掛け 

朝になれば 「おはよう」と挨拶をする


 









14 今  頃

「今  何してるの?」 

と  よく写真に向かって聞いてみるが

本当に今頃何をしているだろうか

向こうの世界に行ったのは 

何かやる事があるからだと思っている

こちらの世界では出来ない事だったのだろうか

でも 何となく 元気に楽しくやっているような気がする














15 私の居場所

一枚の写真がある

二本の桜の木が 寄り添うように立っている

間に水路を挟みながら

枝を伸ばして寄り添うように立っている

私もずっと主人の隣にいたい  

主人の隣が私の居場所だから 


一人ぼっちになってしまった そう思った時もある  

でもそうではない

主人は思い出の中に生きるのではなく 

今も私のすぐ傍に いつも一緒に居る



2005.8

 

 

 

 

 

 

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